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星世界 |
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「枕草子」とは、あの「春はあけぼの・・・・」から始まる、平安時代に清少納言(本名及び生没年未詳)が記した、約300段もからなる随筆です。その中には、「星は、すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」と星に関する記述もあり、天文愛好家にとって最も有名な文だと思います。「枕草子」は、当時の宮廷女性の生活習慣や風俗、物の考え方などが分かる貴重な資料とされています。
清少納言は、日々の様々なもの・ことを綴っただけかもしれませんが、その中に少なからず星に関係した物も見出せます。今回は、これらを取り出して、考えてみたいと思います。
「枕草子」については斉藤国治氏もすでに「古天文学の散歩道」の中で取り上げられています(「『枕の草子』についての天文考」)。この中では特に平安時代の時刻制度について解説されていました。
カッコ内の数字は、段数
- 春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
夏はよる。月の頃はさらなり。・・・
秋は夕暮れ。・・・
冬はつとめて。・・・(一)
特に星に関連した言葉は出ていませんが、古典が苦手な人でも覚えているほどの有名な文でしょう(中学の時、強引に覚えさせられたのではないでしょうか?)。徹夜で星を見た後に夜明けの美しさを見ると、つい口に出てしまいます。やはり朝は生命の息吹を感じますね。ただ春が一番いいかどうかは好みによりますけど。- 正月一日、三月三日は、いとうららかなる。
五月五日は、くもりくらしたる。
七月七日は、くもりくらして、夕がたは晴れたる空に、月のいとあかく、星の数もみえたる。(一〇)七月七日といえば七夕。清少納言の時代に、すでにこの日は星を見る習慣のあったことが分かります。現在の新暦では分かりにくいですが、当時の太陰太陽暦では、7日は上弦の月が見えています。南の空低くに半月が船のように天の川にかかり、真上には織姫星と彦星が見えていたことでしょう。- 名おそろしきもの あをふち。たにのほら。はたいた。くろがね。つちくれ。いかづちは名のみにもあらず、いみじうおそろし。はやち。ふさう雲。ほこぼし。ひぢかさ雨。あらのら。(一五三)
恐い名前の物を羅列していて、その中にほこぼし=鉾星の名が見えています。これは尾が鉾の形をした彗星(ほうき星)とされています(北斗七星の一つ、破軍星との説もありますが、どうしてでしょう?)。古代は世界中で彗星は恐ろしい天体とされていました。いつも配置が変わらず、規則正しく運行している夜の星空の中に、奇妙な形をして、日毎にその位置を変える光の雲が現れるのですから、これほど恐ろしい物は無かったことでしょう。- 日は 入り日。入りはてぬる山の端に、光なほとまりて赤う見ゆるに、薄黄ばみたる雲のたなびきわたりたる、いとあはれなり。(二五二)
朝焼けと夕焼けでは朝焼け(曙)が奇麗ですが、太陽は夕日がきれいです。一日を燃焼し尽くした太陽が、役割を終えて床につく、そんな太陽がゆっくりと山に沈んでいく様は、奇麗なものです。- 月は 有明の、東の山ぎはにほそく出づるほど、いとあはれなり。(二五三)
月は宵の空に傾いて輝く三日月がきれいです。一方で、日の出前になってやっと昇ってくる二十七日頃の月は、だんだん白んでくる空の明るさにかき消されるまでの短い間しか見られず、淋しいものです。- 星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。
天文愛好家には最も有名な文でしょう。
星については、どうしてこれらが選ばれたのか、星を見る者としては不思議です。彦星よりは織姫星の方がきれいだと思います。他にも、もっと奇麗な星はあると思うのですが・・・。「星はすばる」が一番いい、というのは一般にも受け入れられるので、この箇所だけは特別有名です。
この疑問については、石田五郎氏が、当時知識人の愛読した百科事典に載っていた星の名を羅列しただけで、清少納言はこの文で「私はこんな本も読んでいるのよ」と言いたげだった、と評しています。酷だとは思いますが、納得できます。
すばるはおうし座のプレアデス星団の和名。ひこぼしはわし座α星アルタイル。ゆふづつは宵の明星、金星のこと。よばひ星は一般には流星のこととされます。
「尾をひかなければいいのに」という文で、清少納言が流星と彗星を勘違いしていたという説と、よばひ星とは彗星のことであったという説もありますが、私はよばひ星は流星として、尾とは流星の残す光筋や痕を差し、当時流星は夜這いをしたい男性の気持ちから生まれると考えられていたことから、「尾を引いて人の目にとまることがなければいいのに」という、当時の女性感情の表れではないか、と考えています。
今回、この文章を作るのに当たり、枕草子を単に開いてみて見つけた、天文に関係ある文を拾っただけです。もちろん、全体をまず鑑賞し、その上で天文に関係のありそうな箇所を拾うと、より充実することと思います。私はこれを将来の楽しみに取っておいています。
今回は、「枕草子」に出てくる星に関する記述について調べ御紹介しましたが、他の古文書にも星に関する記述はたくさんあるようです。「枕草子」の中でも出てきた「すばる」に関して少し御紹介しても、まず、「古事記」や「万葉集」に、五百津之美須流之珠(いおつのみすまるのたま)とか須売流玉(すまるのたま)(両方とも、糸でつないだ珠飾りの名として、名付けられたらしい。)などと記されています。
「すばる」がプレアデス星団の名として初めて登場するのは、平安中期の歌人で三十六歌仙の一人、源順(みなもとのしたごう)が、勤子内親王(いそこないしんのう)の命により撰進した「和妙類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」らしいので、承平四(九三四)年頃のことです。
その他にも、
馬の背にいかなる淵のあるやらんひろき空にもすばる星かな (前大納言為家)
月は東にすばるは西にいとし御殿はまん中に (丹後の俗謡)
ふかき海にかがまる海老のあるからに ひろき空にもすばる星かな (為家と西行の連歌)
などと数々の和歌が残っております。
今も昔も、星を見る人がいた、いる事実は変わりません。私は、ずっと昔から今までほとんどが変わらず輝き続ける星々を見ていると、昔の人々が、当時、どのような思いでいたのだろうと思うことがあります。星を見る人がいた以上、何らかの形として記録され、今回、テーマとした「枕草子」のように、後世に語り継がれています。また、機会があり、私の興味が及べば、御紹介したいと思います。